対馬地区
息づく食文化
厳しい自然と向き合いながらも、脈々と受け継がれてきた独自の食文化がここにはあります。歴史と風土に根差した美食の世界です。

島めし家 北斗
港の潮風、
出汁の香り、
蒸気の向こうの
ごちそう
韓国からのフェリーが入港する対馬の北の玄関口・比田勝港。港の風景を背に、〈島めし家 北斗〉が立っています。経営するのは、アナゴを獲って25年以上の漁師・築城(ついき)慎一さんです。ウナギの寝床ならぬ「アナゴの寝床」風の細長い店内には、西日が差し込んでいました。穴子カツや穴子の刺身など気になるメニューの中から、お店イチオシの穴子釜めしを。蓋を開けると、蒸気とともに出汁のいい香りが広がります。ふっくらと炊かれたお米の上には、贅沢に煮穴子が1本分。しゃもじでほぐし、かき混ぜて、いただきます。対馬特産の原木シイタケやニンジン、油揚げなどが刻み込まれ、格別の味わいを生み出しています。
島の夜は、
ふわふわの穴子と
島生まれの一献で
店の敷地内には、姉妹店の〈すし処 慎一〉が。ここでは、慎一さんの弟で、次男の順一郎さんが板前として腕を奮っています。〈島めし家 北斗〉がオープンしたのは、〈すし処 慎一〉の2年後。よりカジュアルに、また地元のお酒と一緒にアナゴを楽しんでほしいという慎一さんの思いからでした。大人気だというアナゴを1本丸々揚げた穴子天ぷらに合わせるのは、対馬で唯一の酒造〈白嶽酒造〉の日本酒「白嶽(生酒)」です。島の軟水で仕込んだ甘口の日本酒と、サクッと揚がったふわふわのアナゴ。ぐい呑みとお箸が交互に進みます。
国境の海で
育つアナゴと
それを届ける
3兄弟の物語
慎一さんのアナゴ漁船〈幸生丸〉は、対馬の西沖、韓国との国境に近い海を漁場としています。速い潮の流れと、ぶつかり合う海流で、アナゴの身は引き締まり、厚くなります。「身が柔らかく、良質の脂が乗っているんです」。漁法は、アナゴを傷つけずに捕らえる、対馬ならではのカゴ漁。漁場に到着すると、1,000ものカゴを、水深160メートルから200メートルの海底へ次々とおろしていきます。カゴには、無数の穴が。稚魚が入ってしまっても逃げられる仕組みです。獲れたアナゴを丁寧に加工するのは三男・建太郎さん。「自分で獲ったアナゴなので、自信があります」と慎一さん。漁から加工、提供までのすべてを知る3兄弟だからこそ出せる味が、ここにありました。
対馬もみじぼたん
山から生まれた
天然の恵みを
よりカジュアルに
対馬の上島(かみのしま)と下島(しものしま)をつなぐ赤い万関橋(まんぜきばし)の真下にある三浦湾漁港に、対馬で獲れたジビエを楽しめるお店があります。シカやイノシシの肉を使うことから名付けられた〈対馬もみじぼたん〉です。メニューはハンバーガーやホットドッグ、ナチョスなど。焼かれる前のパティは、見慣れたものより赤みがありました。こぢんまりとしたオープンキッチンで手際よく調理するのは、〈対馬もみじぼたん〉を営む〈一般社団法人daidai〉の代表理事・齊藤ももこさんです。会話を楽しんでいたら、あっという間に3品が出来上がりました。
命と技術が
つながれていく
循環型アイランド
奥の加工場を特別に見学させてもらうことに。皮を剥がれた枝肉のスリムな体つきに「シカですか」と尋ねると、子育てを終えた母イノシシだと教えてくれました。天然の肉だからこそ、体型も年齢も性別もさまざま。それゆえに、解体はすべて手作業です。シカやイノシシを「山を駆け回るトップアスリート」と表現する齊藤さん。だからこそ、歯ごたえと旨みに優れた肉質になります。加工場に大きな窓をつけたのは、肉ができる過程を知ってほしいという願いから。「仕組みやつながりを知ることで、食や身の回りの環境に興味を持ってもらえたら」。齊藤さんの活動がきっかけで、地元の若い方が猟師になることもあるのだそう打ったそばは、店舗で盛りそばかかけそばです。
野生動物の保護から
共生、
循環の視点へと
福岡県出身の齊藤さんと対馬の接点の始まりは、獣医師の勉強をしていた大学時代に遡ります。「野生動物について学ぶ授業でツシマヤマネコについて知り、現地でのインターンシップに参加しました」。野生動物の保護の立場で対馬を訪れた齊藤さんですが、現地では違った状況が待っていました。「ツシマヤマネコがいなくなって困っているのかなと思っていたら、実際には増えすぎたイノシシやシカの被害が深刻で。農業や暮らしの中で、島のみなさんがとても困っていたんです」。自分の立場でできることはないか。ぐるぐると思考を巡らせ、導かれるように新卒で対馬の地域おこし協力隊に就任。ジビエレザーの活用や、食肉処理加工施設の立ち上げなどに奔走しました。
豊かな
この島で考える
自然と営み、
そして食
対馬は面積の約9割が山林で、そのほとんどが広葉樹です。ドングリを食べ、冬に分厚い脂を蓄えたイノシシの肉は、サクサクとした脂身と、フルーティーで癖のない味わいが楽しめると言います。「離島で、山があり、川がある。自然に囲まれた環境の中で、天然のお肉を食べられるってとてもリッチだと思うんです」。帰り道、「テイクアウトしたら、ぜひ景色を見ながら食べてほしい」と教えてもらった万関展望台へ向かいました。シカやイノシシが増えた一因は、島の耕作放棄地が増えたこと。「イノシシやシカの問題からいろいろと辿っていくと、結局身近なところでこだわって作られたものを食べることが、栄養もあり、おいしく、環境にもいいのだと気づきました」。対馬の未来を願う齊藤さんの言葉が思い出される風景でした。
白嶽
三百六十度の
大パノラマの自然が
島の物産の源泉となる
山あいの道をぐんぐんと登っていくと、対馬を代表する霊峰・白嶽が見えてきます。古くから「神宿る山」として信仰を集めてきた白嶽。登山道の途中には祠や鳥居があり、この山がただのハイキングスポットではないことを物語っています。標高は518メートル。決して高くはないものの、麓から急峻にそびえ立つ姿は、島の背骨のような力強さを感じさせます。巨岩をよじ登り、辿りつく山頂。気象条件が整えば、韓国・釜山の山並みを望めるほどだそうです。この白嶽を中心とした対馬の自然こそが、島の豊かな物産を育んでいるのだと思わずにはいられませんでした。
体験であい塾 匠
ソバ、シイタケ、
地鶏、サツマイモ
素材の奥から
あふれる滋味
対馬最高峰の矢立山から流れ出す清らかな佐須川。その川沿いにひっそり佇む〈体験であい塾 匠〉では、十割で打った対馬固有種の「対州そば」を提供しています。郷土料理「いりやきそば」を注文。骨付き肉から卵巣のキンカンまで入り、地鶏を余すことなく味わえる一品です。もう一杯は、同じく郷土料理の「せんそば」。サツマイモを発酵させてデンプンだけを取り出した保存食「せんだんご」を粉にし、麺にしたもので、その名の由来は「千」の手間がかかることからという説も。どちらにも共通するのは、対馬産の地鶏とシイタケでとった旨み抜群のスープ。年越しそばの時期には、地元の方がスープのみを買いに訪れるほどの人気です。
あたたかい
地元のお母さんと
和気あいあい打つ
ソバ体験
店の奥では、地元のお母さん方が忙しそうに働いています。せっかくなので、そば打ちも体験させてもらうことに。「それなら」と紹介されたのは、毎朝お店のそばを手打ちで仕込む熟練の長瀬さんです。使用するのは、もちろん「対州そば」。店の隅では、石臼製粉機が休みなく回転しています。挽きたてのそば粉を使い、早速そば打ちに挑戦です。素人目には「のし」や「切り」が難しそうに見えますが、一番重要なのは、粉全体に水を行き渡らせる「水回し」という工程。「水回しでいい生地ができたら、打つのも打ちやすくなるんですよ」。四苦八苦しながら、そばが出来上がりました。打ったそばは、店舗で盛りそばかかけそばにして食べることもできます。
土地の
険しさの中に宿る
滋味という恵み
対馬は、縄文時代、朝鮮半島を経由し、初めてそばが日本に伝来した地として知られています。日本のそばの中で最も原種に近いと言われ、長崎県で初めて「地理的表示(GI)保護制度」に登録された「対州そば」。粒が小さく、ナッツのような香りと、わずかな苦味が特長で、その素朴ながら力強い味わいに魅了される人が後をたちません。「このそばの実は、島の外に持ち出せないんですよ」と長瀬さん。今でこそ持出禁止となった対州そばの実ですが、従来交配しやすいそばが、原種に近い状態で今も食べられているのは、海に囲まれた対馬だからこそ。平地が少なく耕作に向かないこの土地で、強く育つその姿は、この島と、そこに住む人々の生きざまを映し出しているようでした。
すしやダイケー
その日の海を、
その日のうちに。
島の本気を感じる
回転寿司店
対馬の水産仲卸会社〈株式会社ダイケー〉が運営する対馬唯一の回転寿司店にやってきました。寿司ネタには、本社の活魚水槽から直送した新鮮な魚介類を使用。時には、建物1階の生簀(いけす)から魚を揚げることもあるのだそうです。店のモットーは、天然魚もしくは蓄養魚(水揚げ後、天然魚を餌として与えた魚)を提供すること。人気はやはり対馬産のアナゴです。定番の焼き穴子や煮穴子だけでなく、生穴子や生穴子の炙りも注文できるのは、完全な血抜きができる活魚業者だからこそ。ほかにも、高級魚クエから、ヒラス、マダイ、ブリなどの人気魚、ベンタ(イラ)、キコリ(タカノハダイ)、コロダイ、オジサンといった珍しい地魚がずらりと並びます。
海流が重なり
命は厚みを増していく
アワビは注文後に生簀から揚げ、さばくと聞き、実際に見せてもらうことに。1階の生簀には、地元の海女(あま)が獲った大ぶりのアワビが何匹も潜んでいました。水揚げされたアワビは洗われ、薄く引かれ、あっという間に握りに。コリコリとした食感。海水をまとった塩気の奥から、かめばかむほど甘さが出てきます。対馬沖では、黒潮の分流である対馬海流と大陸沿岸水が交じり合い、さらに、面積の約9割が山林の対馬では、雨水とともに豊かな栄養素が海へと流れます。栄養に満ちた海で育まれたアワビには、繊細な旨みと力強さが宿っていました。
アナゴの
ふるさとにあった
日本一のわざに迫る
この豊富な品揃えを支えるのは、〈すしやダイケー〉の経営元である水産仲卸会社〈株式会社ダイケー〉。対馬近海で漁獲されるアナゴの、およそ半数を取り扱う日本一の活アナゴ業者です。アナゴを含め、クエやイカなど水揚げされた魚は、すぐさま地下海水を引き込んだ生簀へ入れられます。最速で当日に出荷され、〈すしやダイケー〉をはじめとする島内はもちろん、島外・県外まで輸送されていきます。創業から丸40年。アナゴの取り扱いや活魚輸送にも培われた技術が光っています。